そこに山があるから

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20051109/p1#c

「文明開化(civilization)みたいな運動はあくまで市民社会の利益を享受しうる政治的領域(世俗的な空間)で推進するべきであり、市民的な利益を享受する領域を拡大すべく、他者の私的領域に分け入り、他者の良心のあり方について圧迫・干渉するような活動は、当事者間の対立を煽り、あまりにも宗教的不寛容に満ちているといわざるをえない」という主張には基本的に賛成だし、今回の行動は、彼らの目的がなんらかの社会的コンセンサスを得ていくことにあるとすれば、的はずれだと思う。彼らには登るべき正当な理由なんてないわけだ。

ただ、「自由」というのは基本的には何をしてもいいけど正当な理由があればそれを制限できるということで、今回正当な理由を求められるのは村人の側だ。その理由としてあげられるのが、id:swan_slabさんのおっしゃる「私的領域」ということだと思う。だが、どこまでが私的領域といえるかという点については議論の余地がある。

もっとも狭くとれば人間の身体そのものだが、私的所有権の及ぶ範囲が私的領域と考えるのが穏当なところだろう。そうすると、国立公園の中が私的領域といえるのかいえば、一般的にはいえない。ただ、たとえば、国立公園に隣接する場所に住んでいる人たちが、国立公園の敷地といえども夜中に自分の家のそばで騒いでほしくないという主張は正当だし、その意味から、公的な土地であっても、100%ではないがある程度私的な権利が認められると思う。

村人たちの立場からいえば、もともと宗教の聖地であるべき私的な土地が手続き上の理由で国立公園に組み込まれてしまっているということになるのだろう。そういう場合に、そこでその宗教の戒律に反することをしないでほしいというのを、非信者の人にお願いするのはありだし、それは尊重されるべきだろう。ただ、それが受け入れてもらえるかどうかは、その戒律しだいだ。「唾をはくな」とか「神を冒涜する言葉をはくな」とか「姦淫をするな」ならおそらく受けいれてもらえる可能性が高い。「弁当持込禁止」というディズニールールでもかなり厳しくて、「立入禁止」になってしまうと、反発して破ろうという人がでてくる。さらに「女性(と思われる人)」、「ハンセン病エイズ患者」、「左利き」(「女性」以外は単なるあり得べき例を挙げただけ)など特定の属性をもった人だけ「立入禁止」というのは、合理性が疑われるので(宗教の戒律といえども合理性は必要なのだ)なおさら受け入れてもらいにくくなってしまう。私的領域としての権利が認められるとはいっても、公的な場所である以上そこで要求できるのはある穏当な範囲だけなのだ。「女人禁制」は穏当な範囲を越えているような気がする。信仰は妨害してはいけないと思うけど、宗教だからといって特別扱いをして守ってあげるものでもない。

村人の側に正しさがないとはいえ、正しさというのはコミュニケーショナルにしか存在し得ないものだと思うので、今回抜け駆けで登った3人の行動に正しさがあるわけではない。とはいえ、彼らが村人以外の誰かから非難されるようなことをしたわけではなく、彼らを非難できるのは当事者である村人たちだけだ。

結局のところ、そこに山がある以上、男であれ女であれ、人は登ってしまうんだと思う。ただそれだけのことだ。