イスラム VS 言論の自由

言論の自由というのは、言葉にはほとんど何の力もないということが共通理解となっている社会にのみ存在しうるのかもしれない。言葉の力で人を呪い殺すことができると信じられている社会では、言論の自由は許されようがないだろう。

いくら言葉を重ねても何かを変えることはできない。もちろん、きれいな水の結晶もできない。長い年月をかけ、たくさんの犠牲者を出して、そのことを確認したからこそ、今この言論の自由というものがあるのかもしれない。

それは誇ってよいことだと思う。

左官職人こね太郎

iTunesに今再生している曲をもとにiTunes Music Storeでお勧めの曲を表示する機能がついた。最近クラシック系にはまっているので上位に表示されるのはNeville Marriner 等のクラシック系のアーティストなのだが、なぜか一人だけ「新沼謙治」の名前が。アルバムのタイトルは「左官職人こね太郎」だった。最近演歌会はガテン系にねらいを定めているようだ。

海辺を走るだけに

豊洲延伸開業に伴って、ゆりかもめ全駅の構内案内図、精算所、トイレ案内図に音声案内装置を設置します。

その音声は、全国の鉄道で初めて、駅ごとに16名の声優さんに担当していただくことになっております。

詳細については、後日ご案内いたします。

「さあてこの駅は、フネの科学館でございま〜す。ウングガグゲ(のどになにかをつまらせた音)」

ところで、この擬音は正確にはなんといっていたのだろうか。

古畑 VS イチロウ

「キビシイ!!」とかいってももう誰もわからないかもしれないが、イチロウが古畑に出演した回をみた。イチロウの演技は野球のプレイと同様自然体の堂に入ったものだったが、三谷幸喜の脚本はいまひとつだったなと思う。殺人の動機が弱いし、謎解きもほとんどない。その前の石坂浩二藤原竜也の回がすばらしかったものだからなおさらそう感じる。三谷幸喜はシチュエーションコメディーのように多少の穴が許されるものをたくみな概算法でまとめあげることには長けているのだけど、ミステリーのように寸分の狂いもなくはめこむ計算力は資質として持っていないのだと思う。まだ松嶋菜々子の最終話はみてないが、はたしてどうだろうか。

それよりぼくが評価したいのは年末にNHKで放映されていた伊東四朗主演「名探偵 赤富士鷹」だ。アガサ・クリスティー作品の翻案なので、ミステリーの部分のすばらしさはクリスティーに帰せられるべきだけど、見事に舞台を昭和初期の日本に置き換えた手際と、魅力的な人物の造型がよかった。イチロウもいいけどシロウもいい。「つん、つくつくつくつん」。

いえるうちにいうこと

Wars teach us not to love our enemies, but to hate our allies.
W. L. George

「戦争は、敵を愛することでなく、味方を憎むことを教えてくれる」。

確かに戦闘での死者より餓死や病死が多かった60年前のあの戦争ではそうだよな、とうなずいたりしながらも、自分の信念そっちのけで何事も面倒なことから逃げてしまうぼくは、召集令状がくるような状況だったら、逃げる勇気もなく、いやいや出征してしまったような気がする。戦争から逃げ出すことの方がよほど勇気のいることなのだ。それで、躊躇しながらも「敵」を何人か殺したりして、運良く生還できたときには、「戦争には正しい戦争と間違った戦争がある」なんてほざくようになり、反戦運動をする人を意気地無しとののしるようになったのかも知れない。

ぼくにかぎらず実は多くの人がそうなのではないだろうか。60年前のあの戦争でもおそらくは戦争の大義に疑問をもちつつ出征した人が少なからずいただろう。勇気をもって戦場から逃げ出すことのできるのはごく一部の人間だ。そういう勇気に期待しても戦争をなくすことはできない。だから、勇気がなくてもいえるうちにいっておかなくてはいけないのだ。「戦争なんてまっぴらごめんだ」と。