レトリック

特に酒場などで、どうにも噛み合わない議論というのがあったりするが、これは実はお互い同じことを話しているようで全然違う別のものについて話しているのではないかと思ったりする。

たとえば知り合いのスズキさんについての話でも、確かにそのスズキさんは一人しかいないとしても、人間は関係性の動物なので、接する人によってまったく違う側面をみせることもありうるはずだ。Aさんから見たスズキさんとBさんから見たスズキさんが、まるっきりちがう人物と考えたほうがいいような場合もある。

まだスズキさんならはっきりと指差して識別できるものだからいいけれど、これがさわることも匂いをかぐこともできない抽象的な概念だとさらに同じかどうかがあやふやになる。

抽象的な概念とはつまり「言葉」のことだ。現実の世界のどこにも存在はしないけれど人間の頭の中に言葉としてだけ存在するもの。その言葉が人間を動かして、具体的な行動になる。愛、国家、政治、信仰、理性…。

一つの言葉に対して最低限の共通項はくくりだせるとしても、微妙な差異を積み上げれば結局のところ一人として同じイメージを抱いている人はいないのではないだろうか。話をあわせるために言葉を定義しようとしても、それには別の言葉を使わなければならず、その定義するほうの言葉の差異が問題になってくる。

それに言葉というのはひとつの言葉だけで成り立つものではなく、ほかの言葉との関係性でなりたつものだ。AはBの正反対の言葉で、CはBを強調した言葉であり、DはAという言葉を使って説明されるとか…。ひとりひとりの脳の中にこういう網目状の言葉のネットワークがはりめぐらされていて、結局相手のいうことを完全に理解するためにはこのネットワーク全体を理解しなければならない。

つまり、完全に相手を理解することや自分を理解させることなどできないということだ。それをそういうものだとあきらめた上で、なんとか互いの言葉のネットワークを共振させる試み、それがレトリックかなと思ったりする。