集団知

「他の人がどう思うかで自分が動く」(ケインズ美人投票の原理)というのは、市場という集団知の本質でもありますが、権力の本質でもあります。

集団知というのがあるとして、それが知といわれるだけの要件を兼ね備えるためには、個々が独自の判断でその結論にたどりついたということが必要条件だと思う。多数決にそれなりのもっともらしさがあるのは、それだけの人数の人々がチェック機能を果たしていると思われるからなのであって、「他の人がどう思うかで自分が動」いてしまったのだとしたら、何の正当性もないことになってしまう。

そもそも、利益追求の場としての市場と、合意形成の場としての世論を同じアナロジーでとらえようとしているところが、粗雑なのだと思う。