奇妙な愛情


公明党が「国とは国土、国民であることを明確にすべきだ」と主張してきたことを受け、中間報告は自民党の主張について「(政府などの)統治機構を愛するという趣旨ではない」とあえて明記した。

日本語の「くに」という言葉はあいまいなので英語でいうと、彼らが愛せといっている対象が state ではなく nation だということを明確化しようとしているわけだ。でも、nation というのは「想像の共同体」(©ベネディクト・アンダーソン)であり、いわば個々人が、居住している地域や周囲の住民に対して抱いている肯定的な感情(つまり愛だ)を集積させたようなものではないだろうか。そうするとnation を愛せというのは同語反復というか循環論のような気がする。nationは、教えられるまでもなく、各人がそれぞれの形で愛しているものだろう。

逆に教育で教えなければいけないのは state を愛することだと思う。ここで state というのは現在の政権をさすのではなく、その政権を生み出すシステム*1のことだ。日本のような成文法の国ならstateの代わりに憲法をはじめとする法システムといってもいいかもしれない。

システムに対する愛なんて、マニアックでちょっとアブノーマルに聞こえるけど、この場合の「愛」というのは、(国という)システムに関心を持ち、それをよりよいものにしてゆくために真剣に顧慮することにほかならない。最近もCDの輸入権に反対する運動があったけれど、あれも愛「国」心のひとつのあらわれということになる。

というわけで、子供には、nationはこうやって愛するんだというおせっかいな性教育のようなことではなく、state というシステムを愛することを学んでもらいたい。

*1:正確にはメタシステム