パラノイアズ

asahi.com:「君が代」強制批判のPTA会長、辞任に追い込まれる

まず個人的な好き嫌いの問題として次の立場が考えられる(もちろん中間的な立場も考えられる)

そしてそれとは全く独立した集団的な道徳の問題として、いくつかの立場が考えられる。

  • 君が代を歌わなくてはいけない
  • 君が代を歌ってもよいし、かつ歌わなくてもよい
  • 君が代を歌ってはいけない

さらに、これらの道徳をどのように実践するかということについても大きく2つの立場が考えられる。

  • 強制する(北風戦略)
  • なだめすかす(太陽戦略)

このPTA会長は、この中でいうと「北風戦略」に意義をとなえただけである。それがどうして問題になるのだろうか。第一、以下の内田樹氏の文章にあるように、強制することが愛国心をはぐくむことになるとは思えない。


自分に敬意を払わない人間を処罰する人間は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した人間である。

ふつう、そのような人間に敬意を払う人はいない。

国家に敬意を払わない人間を処罰する国家は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した国家である。

ふつう、そのような国家に敬意を払う人はいない。

しかも、強制することによって、君が代を歌わないということがとても意義深い行為(しないことを行為というのはおかしいが)だということを逆説的に証明していることになるのではないだろうか。強制は反抗を生み、結果的に歌わないことを強く動機付けをしていることになるのだ。

君が代には何の罪もないと思うのだけど、強制する人たちが浮かべているあのうつろで自己満足的な表情。それと同じ顔つきで同じ歌を歌うことはできないと思ってしまう。