Walden
ヘンリー・ソローの『森の生活(ウォールデン)』に関するメモ書き。
飯田実訳の岩波文庫版がベースです。
- 「たいていの人間は、静かな絶望の生活を送っている。いわゆるあきらめとは、絶望の確認にほかならない」-上17P
- 「記憶すべきあらゆる出来事は、朝の時間、朝の大気の中で生起するといってよい」-上160P
- 「わたしが森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにはおちいりたくなかったからである。」-上162P
- 「実在が架空のものとされる一方で虚偽と妄想が確固たる真理としてもてはやされている」-上171P
- 「もしわわれれがほんとうに死にかけているのなら、喉がぜいぜい鳴る音を聞き、手足の先が冷たくなるのを感じ取ろうとではないか。もし生きているのなら、なすべき仕事にとりかかろう。」-上176P
- 「心地よい夕べだ。全身がひとつの感覚器官になり、すべての毛穴から歓びを吸いこんでいる」-上233P
- 「われわれは自分の部屋に引き篭もっているときよりも、そとで人に立ちまじっているときのほうが、たいていはずっと孤独である」-上244P
- 「迷子になってはじめて、つまりこの世界を見失ってはじめて、われわれは自己を発見しはじめるのであり、また、われわれの置かれた位置や、われわれと世界との関係の無限のひろがりを認識するようになるのである」-上304P