無知の知

このところ、書きたいことがたくさんある。でも、そうしていざ書こうとして思うのが、自分がいかにものを知らず、表面的な知識しか持ち合わせていないかということだ。いろいろ見たり読んだりしているつもりでも、字面をなぞっているだけで肝心なところが理解できていない。残っているのは漠然とした印象だけなのだ。

結局書きたいことというのも、その印象から生まれる直感にすぎないのかもしれない。直感ほどあてにできないものはなくて、矛盾を含んでいたり、単なる思い込みなのはざらだ。かといって、直感に頼らずちゃんと考えようとすると知識のなさがわざわいして、相対主義におちいり、どれも正しいとも間違っているともいえなくなって、書くことがなくなってしまう。

でも、それは一方的に悪いこととはいえなくて、無知の知というように、自分が無知であることを知ることはとても大事なことだと思う。ある意味、自分というのは牢獄のようなもので、そのありようを越えて、感じたり、考えたりすることはできないのだけど、無知であることを知れば、少なくとも鉄格子のはまった窓から外をのぞくことくらいはできる。そして、それはとても楽しいことだ。