こういうときに被害者の家族の生の声をとりたがるレポーターこそがまさに音声(パロール)中心主義の代表だということに気がついた。
なぜ「いない」のか。それが「分からない」。新聞やテレビのニュースに父さんや、さっちゃんの名前が出ている。それが、なぜ出ているのか、飲み込めない。頭が回らないっていうことは、こういうことなのか。さっちゃんがいないことを受け止められないってこ…
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