ゲーム脳再掲

ついでに昔書いた文章を再掲しておく。

なんか最近たちの悪い迷信がはやって困る。表面だけは科学という衣をかぶっているものだから、なおさらたちが悪い。ちなみに、科学的ということは、真実かどうかということにはまったく関係なく、あることがらを確かめるための単なるひとつの方法論だ。なんとかという書物に書いてあるから真実で、誰々がいっているから嘘というのではなく、実験を何度かくりかえしてデータを集め、それらをもとに論理的に推論して確かめましょうということだ。

当然、データがいいかげんだったり、論理がふざけていたりすると、正しい結果は得られない。

データがいいかげんというのは、数が少ないとか、偏りがあるとかいうこと。そもそもデータの取り方に問題があるかもしれない。「脳波を計る機械」はそもそも信頼できるのか?被験者の選び方に偏りはないか(このへんが怪しい)?数は十分か?

ふざけた論理の一例は因果関係の捏造。「Aという性質をもっている場合、たいていはBという性質をもっている」→「Aが原因で、Bが結果」。もちろん、ほんとうはBが原因で、Aが結果かも知れないし、全然別のCという性質が原因で、AもBも結果かもしれない。

「長時間テレビに向かってゲームをしている人の脳波はある特定の波形を示す」ということからは、「ゲームをしている」のが原因で、「特定の波形」が原因ということは導きだせない。逆に「特定の波形」だから「長時間ゲームをしてしまう」のかもしれないし、全然別の原因があって、そのことが「特定の波形」を作り出し、「長時間ゲームをさせてしまう」のかもしれない。

論理の方でもうひとつよくあるのが「すりかえ」。それ自身特に何の意味ももたいないようなことを、別の重大なことがらであるかのようにいう。

「長時間テレビに向かってゲームをしている人の脳波と痴呆症の人の脳波にはある共通の特徴がある」ということは、「長時間テレビに向かってゲームをしている人の脳の活動は痴呆症の人の脳の活動に近い」などということとはまったく無関係。

「女たちがパンツを見せる原因もゲーム脳」だということをいってるページもあるし、いいかげんなデータと、ふざけた論理を使えば、たいていのことはもっともらしく説明できる。

科学的迷信のもうひとつの雄「マイナスイオン」でゲーム脳が治る、ということを証明するのも彼らの手にかかれば簡単だと思う。

(ちなみに、ここでは、「ゲーム脳」という現象がないといっているわけではなく、あるというには全然根拠が足りないということをいっています。)