馬場靖雄:法のオートポイエーシスと正義


正義は失敗しなければならない。しかしそれを知ってはならない。かくしてわれわれは、正義に関するあの原初的なイコンへと回帰する。正義の女神は目隠しをしているのである。

「正義」は全体社会の複雑性を単純な法体系にフィードバックするという側面もあるが、逆に全体社会の複雑性がすべての目的であり、正義が結果として失敗する(つまり正義から生み出された法体系が他のシステムによって棄却される)ことによって全体社会の複雑性を実現することこそが正義の存在理由だという議論。とても刺激的。

ルーマンの「オートポイエーシス」はスピノザっぽい。