反戦の課題

イラク戦争の何が特徴的かというと、攻撃の正当性が全然なかったことだと思う。それで反戦運動が盛り上がったのだけど、戦争が終わったことになって、すっかりスポイルされてしまったような気がする。戦争が終わったといっても相変わらず正当性はないままで、そのことがかえって、「反戦は正しかったけどそれが何?」というような「正しさ」に対する無力感を生んでいる。

ほんとうは、反戦のバックボーンは、「正しさ」なんかではなく、殺されたくない、殺したくないという、死に対する想像力だと思う。むしろ「正しさ」は戦争の専売特許のはずで、近代のすべての戦争は正義の名のもとに行われてきた。本来はこの「正しさ」に対抗するのが反戦の立場だ。

従来の「正しさ」は宗教・民族・国家などの「大きな物語」に裏づけされていて、それらに対抗する道具はいくつかあったのでまだよかったが、今の「正しさ」は個人の安全の保護を裏づけに使おうとしている(そこでは人々の恐怖心が最大限に利用される)。これに対抗するのはとても難しい。

また湾岸戦争以降、戦争というもののイメージが変えられつつある。人と人が面と向かって殺しあうのではなく、離れたところからボタンを押すのが戦争になっている。そういう新しいタイプの戦争の悲惨さ(死に対する想像力)を伝えるのに、まだメディアは成功していない。同時に、戦争を遂行する側は、意図的にたくさんの情報を流して、情報の洪水をおこし、結果として悲惨さを相対化しようとしてもいる。

というような状況で何ができるか。これからの反戦あるいは非戦という立場の課題だと思う。(という無力=バカな評論家みたいなことしか今は書けません)。